没後50年 溝口健二 国際シンポジウム

有楽町朝日ホールで行われた「没後50年 溝口健二 国際シンポジウム」に参加。平日開催にも関わらず大盛況。真ん中やや後方の席に坐る。以下ざっと感想(かなりいい加減な記憶による)。


■はじめに


蓮實重彦の言葉。大映永田雅一アメリカに行った際、溝口健二を「日本のジョン・フォード」だと言って紹介したのは、永田ラッパの放言などではなく、実に言い得て妙だったのではないか?フォードと溝口はモーパッサンの「脂肪の塊」を映画化しているし、20年代から30年代にかけて非常に多作でジャンルもあらゆるものを撮っていた。その中には活劇も沢山あっただろう。それら溝口作品をすべて観ていた筈の永田雅一が「溝口は日本のジョン・フォードだ」と思ったのは極めて自然な見方なのかもしれない。そのことを踏まえた上で溝口健二を考えていきたいと思う。


■セッション1「日本における溝口」

阿部和重井口奈己柳町光男山崎貴が語る溝口。とりあえず阿部和重の話が一番面白かった(ついでに言うと態度も一番悪かった笑)。ちょっと見方が穿ちすぎる感もあるが、溝口映画の移動撮影はキャメラから逃げようとする登場人物たちをキャメラがストーカーのように追い回しているという表現や、溝口映画の登場人物たちが透明人間化するというユニークな視線の解釈などなかなか刺激的だった。井口奈己は話云々というより監督自身のキャラが楽しかった(『犬猫』とそのメイキングが観たくなった)。柳町光男は日本人ゲストの中では一番マトモに溝口映画を見て来た人のようだが、如何せん話は退屈だった(ただ山根貞男の「優れた映画作家はみな悪人なんですよ」という発言に「ルノワールは大変な人格者だったと言われていますが」とツッコミ、山根氏がタジタジになる場面は愉快だった)。そして山崎貴!今回のシンポジウム最大のミスキャストでありジョーカー的存在だったのは彼だろう。いくら何でも溝口作品を4本(しかも全てビデオ)しか観ていないのに、溝口を語らせるというのはあまりにも大胆すぎる。しかも発言内容のイタさたるや。初めは観客も笑っていた(失笑?)が、後半は明らかに引いていた。ハスミンの「『ALWAYS 三丁目の夕日』の中で『雨月物語』をやってましたね。私はあそこで泣きました」という発言に「いや〜撮っている最中は意識していませんでしたけど。潜在的にはあったかもしれないですね。はい、白状します。あそこは『雨月物語』やっちゃいました!」と嬉々として語ってしまうその無邪気さというか品の無さというか頭の悪さというか(^^; 稚拙な発言を繰り返した挙句に「映画を難しく考えるのは野暮」みたいなことを力説してしまうのも何だかなあという感じだった。ハスミンが山崎貴を紹介する際に「山崎貴」の「貴」は「高貴の貴」と言っていたが、これ、語り草になるくらい笑える失言なのではないだろうか。


■セッション2「女優の証言」

香川京子若尾文子が語る溝口健二と映画の思い出。香川さんや若尾さんが登場すると会場の空気が一変し雰囲気が華やぐ。それはさながらオズの国に迷い込んだドロシーの目の前が白黒から総天然色になったかのごとく。そして香川さんの話が終わったとき、彼女に花束を渡す人物としてビクトル・エリセが登場する。最も尊敬する映画監督が目の前に・・・。感動のあまりしばし思考停止。白のスーツズボンに黒のブレザーという出で立ち。濃い髭をたたえた穏やかな表情はまさしく写真で見知っていたビクトル・エリセその人だ。エリセと香川京子が握手をする。この光景が見れただけでも今日来た甲斐があったとしみじみ思う。若尾文子にはジャ・ジャンクーが花束を渡した。


■セッション3「助監督の証言」

3本の溝口映画でチーフ助監督を勤めた田中徳三の証言。溝口健二キャメラのファインダーを覗かなかったという伝説は本当だった。「そんな監督は世界的にも稀でしょう。もちろん私は覗きます」とも。最後に「映画を難しく語るのは評論家の悪いクセでね。映画は楽しく観るもんです」という言葉に会場から大きな拍手。日本映画がまだ元気だった頃、良質のプログラム・ピクチャーを量産していた監督だからこその反応だろう。「溝口健二に見せたい自作は?」とのハスミンの質問には『疵千両』あるいは『手討』と答えていた。


■セッション4「世界が見た溝口」

ジャン・ドゥーシェビクトル・エリセジャ・ジャンクーが語る溝口。何と言ってもビクトル・エリセの話が圧倒的に素晴らしかった。後で阿部和重も語っていたが、まるでエリセの映画を観たような感動的な回想談だったのだ。内容はこうだ。溝口の映画がスペインで上映されたのは1963年、場所はマドリッドのフィルモテーカ・エスパニョーラ。その時エリセは兵役中であり、なんと水兵の服を着たまま(!)映画館に足を運んだと言う。映画館と兵舎はそれほど離れていなかったが、門限の関係で自由時間は2時間足らずしかなく、『祇園囃子』(85分)を観終わって急いで帰ってもギリギリだった。初めて溝口の映画を体験した晩、ベットの中でエンドレスに流れるカセットテープのように作品の映像を反芻したという。そして『山椒大夫』。映画の途中だったが帰らなくてはならない時間がきてしまう。エリセは門限を守るか、懲罰を受けてでも映画を最後まで観るかの選択を迫られるが、溝口の魂の導きによって後者を選ぶ。映画終了後、エリセは急ぐことなく、ゆっくり歩きながら兵舎に戻る。待ち受けていた門兵はニヤけ面で「女だろ?」、「映画を観ていた」とエリセ、門兵は「そんなもののために門限を破ったのか」と呆れる。懲罰はジャガイモの皮むきだった。エリセは詰まらない作業をしながら「人生を超越した映画」との出会いに心から感動していた・・・。ユーモアあり、サスペンスあり、まさに映像が目に浮かんでくるような視覚的想像力を掻き立てる魅力的なエピソード。そう、エリセは淀川長治のように喋りで15分の短編自伝映画を映写してくれたのだ。門兵の言葉をエリセが演技口調で喋るところは最高だった。最後は「ミゾグチケンジカントク、ドウモアリガトウゴザイマシタ」と日本語で締め。ああ何と贅沢な時間。ハスミンは「水兵姿のエリセを想像してみてください」と鈍く興奮しつつ「いくつかの水兵が登場する映画、特に『ローラ』を想起した」と語る。ちなみにジャ・ジャンクー溝口健二の映画を海賊版で観たと語り、そのことを謝罪していた(笑)。後半は外国人パネリストと日本人パネリストによる対話。ここでも山崎貴の空気読めてない珍発言が炸裂。阿部和重は表情を見る限り完璧にシラケていた。「ひょっとしたらこの人は何かを持っているかもしれない」と期待を寄せていたハスミンの心中やいかに。ここでもやはりエリセの映画の現状に対する真摯なメッセージが印象的だった。エリセは今も映画は瀕死の状態にあると考えているようだ。溝口が死んだ時、それはルノワールジョン・フォードが死んだ時もそうであったように、映画の大切な何かが失われてしまったのだという。ジャン・ドゥーシェはそんなエリセの考えに共感を示し、ジャ・ジャンクーは「それでも私は映画の未来に楽観的でありたいのです」と語る。最後は壇上の全員が一押しの溝口作品を一本だけ挙げることに。山崎貴柳町光男は『近松物語』、井口奈己は『噂の女』、阿部和重はどうしてもということで2本『名刀美女丸』と『元禄忠臣蔵』、ジャ・ジャンクーは『雨月物語』、ビクトル・エリセジャン・ドゥーシェは『赤線地帯』(ただこのことは「日本の監督たちとの対話」のところで既に発表されていたのでエリセは後述する話の最後に『残菊物語』を挙げている)。ここでジャン・ドゥーシェが何故『赤線地帯』なのかをエリセ氏に語ってもらいましょうと粋な提案。エリセによると『赤線地帯』はそれまでの溝口作品の要素が全て入った集大成的な作品(遺作ということがその思いを強めていることもあると付け加えた上で)であり、ドライヤーの『ガートルード』にも比すべき素晴らしい遺作だと語る。ラストシーンは映画史上の名シーンだとも。いずれも女性映画である点が興味深い(そう言えばエリセは蓮實重彦によるインタビューの中でジョン・フォードの遺作『荒野の女たち』も大好きだと語っていたっけ)。山根貞男は『雪夫人絵図』、蓮實重彦は『残菊物語』、「泣けます」の一言。その蓮實氏が溝口を敬愛していた今は亡きダニエル・シュミットへの追悼を口にしシンポジウムは幕を閉じた。締めくくりはスクリーンに映し出される『山椒大夫』のラストショット。それを眺めるエリセの頭部がスクリーン下部に。嗚呼ぁ!


■余談1

有楽町マリオンの正面入口を出て、有楽町駅に向おうとマリオン横の道を歩き出した直後、マリオンの出入り口から何とビクトル・エリセが!距離にして約1mほどの超接近遭遇。山根貞男ジャン・ドゥーシェもいたような気がする。エリセの周りには女性が数名いて和やかな雰囲気で談笑しながら銀座方面へと消えていった。一瞬心臓の鼓動が止まり、呼吸も止まり、時間が止まったかのような感覚に陥り、半ば放心状態のまま駅へと向う。それにしても何と言う偶然。帰る際、朝日ホールのロビーのトイレに入り、エレベーターではなくエスカレーターで降りたことによって生まれた奇跡だ。目は合わず、話しかけることも、握手することも、写真を撮ることも、ストーキングすることも出来なかったが、映画の神様がくれた思いがけないプレゼントだった。まさに一瞬の夢であった。


■余談2

会場にTVカメラが入っていたので、小津シンポジウムの時と同じように後日ダイジェスト版がNHK-BSで放送されるかもしれません。行けなかった方はこれを見てエリセの雄姿を確認してください。

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シンポジウムで購入した「没後50年特別企画「溝口健二の映画」カタログ はじめての溝口健二」(1,000円)。ビクトル・エリセのインタビュー記事が載っていたので、後日エリセ部屋の方にアップする予定です。

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シンポジウム終了後、溝口健二サイレント映画2本の上映。弁士も伴奏音楽もなし。600人以上の人間が無音状態でスクリーンを眺めているという状況はかなり異様で不思議な感じだった。