突然、小津作品が観たくなったので『彼岸花』を鑑賞。やっぱ良いですね〜。そしてヘン(笑)。観れば観るほど奇妙に思えてくる小津映画の世界です。娘の結婚にまつわる家族のちょっとした諍いを描いたドラマで、劇的な展開もなければ、場所もほとんど室内限定。小津作品を地味とか、淡々としていると感じてしまうのも無理からぬことかもしれません。でも実はその逆なんですよね。まず、小津映画は速い!実に細かくテンポ良くカット割りされていて、場所が変わったり、日が変わったりしてもフェイド・アウトするのではなく、風景ショットを挟んだいわゆる空ショットを用いてポンポン飛躍していくので、映画の流れが非常にリズムカルでスムーズ、したがって速いんです。そして、小津映画のユニークなアクション性。小津映画はローアングルの固定キャメラで、パンもしなければ移動もしません。これが画面の安定感を生んでただならぬ心地良さを感じさせるのですが、実はもう一つ、人物の動きを強調させるという意外な効果もあります。小津映画の登場人物、特に女性たちは目まぐるしく部屋を出たり入ったり、立ったり坐ったり、あるいは階段の上り下りを繰り返しますし、衣服や何か物を拾ったり、手に持った物を放ったりもします。しかも、それら動作をとてもキビキビと軽快に行うんですよね。それが恐ろしく安定した映像の中で、際立った視覚的効果となってある種の躍動感を感じさせるというわけなんです。静的な映像空間がにわかに活気ずくんですね。とにかく小津映画の女性たちは男に比べてやたら動きます(笑)。『彼岸花』では浪花千栄子山本富士子による早口で快活な京弁も音のアクションとでも言うべき独特の躍動感を生んでいます。それと、やっぱり外せないのが会話シーンにおける"逆視線"のモンタージュですね。

上の画像は佐分利信山本富士子が会話をしている場面なんですが、二人とも同じ体の向き(しかもほぼ正面を向いて)で喋っています。つまり映画文法的な決まり事としての視線の交錯が巧妙に避けられているんですね。だから会話をしているのに、二人の人物はまるで同じ方向を眺めているような錯覚を覚えます。この独特のやや引き気味のバストショットによる会話シーンの不自然さは、バーや居酒屋のカウンター席の会話で最も顕著になります。なにせ隣同士なのに視線が交わらない、しかも隣同士とは思えない距離感、こうなると不気味でさえあります(笑)。よく小津映画には二人の人物が横に並んで同じ方角を向いているショットが出てきますが、向き合って会話をしているシーンにおいても、映画のセオリーを外すことによって同じような効果を作り出しているんですね。この演出の意図するものが一体何であるのかは分かりません。「人間は孤独な存在である」ということなんでしょうか。それにしても、アップショット、クレーン撮影、ディゾルブ、移動ショット、カットバック、長廻しなどの言わば映画技法の花形と言っても良い数々のテクニックを一切使わずに、地味な仕掛けだけで全く独自の映画を作り上げてしまった小津安二郎の偉大さ。後期小津作品、やっぱりとてつもなく魅力的ですねぇ。とりわけ『彼岸花』は好きな作品です。赤いヤカンに代表される小道具の存在感とか、アグファカラーの美しさとか、高橋貞二の可笑しさとか。