『ゴールキーパーの不安』 ■■■□

監督:ヴィム・ヴェンダース

久々の再見。序盤からシネフィル・ヴェンダースが炸裂(笑)。映画館ではホークスの『レッドライン7000』が、ロングショットの風景にはアントニオ−ニが、夜の街の映像にはラングやニコラス・レイが、主人公が映画館の受付嬢(グロリアという名前はやはりグロリア・グレアムから?)を絞殺するシーンではヒッチコックが。本作の奇妙な面白さは、この決定的な出来事が起こってからの展開にあって、ここから映画はヴェンダース的(あるいはハントケ的)というしかない世界へと移行していきます。それは物語性からの逸脱または希薄化です。国境近くの村で淡々とした日々を送るだけの主人公、その行動には殺人犯としての切迫感は皆無だし、拘束される危険性すらもほとんど示されません。まるで殺人など無かったかのように話は曖昧に進行していきます。ただ主人公の表情は一貫して陰鬱で、それが言いようのない不安感を映像の表層に漂わせ、サスペンスフルな雰囲気を生み出しています。意味ありげに語られる村の子供の失踪事件も、ただ単に主人公が犯した殺人の事実を希薄化するための装置に過ぎないことが分かるとさすがに少し狼狽するのですが、そこから唐突に訪れる最後のシーンによってハッと気付かされるのです。それはサッカーの試合を見に来た主人公と観客の会話。主人公が熱心に語る奇妙なサッカー観戦の仕方は、その奇妙さ故に映画鑑賞のいささか皮肉めいた比喩的表現であることが分かります。つまり、本作の"物語のようなもの"は"死につつある映画(TVによって?)への危機感を象徴するもの"だったんですね。理由なき殺人というあまりにも映画的な出来事が起こりながら、どんどんその事実から遠ざかっていく反映画的な展開もそのように解釈すれば妙に納得がいきます。序盤の私的な映画史へのオマージュとも言える描写の数々も決してヴェンダースの自己満足的な戯れではなかったんですね。『ゴールキーパーの不安』とは「映画作家ヴェンダースの不安」だったのではないでしょうか。