『サウンド・オブ・ミュージック』 ■■■■

監督:ロバート・ワイズ

空撮で始まり空撮で終わるミュージカル。日記には記していなかったのですが、つい最近、アニメ世界名作劇場の「トラップ一家物語」(素晴らしかった)を観終わったばかりで、さあ次は久々に映画版を鑑賞だ、という流れになったわけなのですが、15日の日記に書いたとおり、前半部まで観た翌日ロバート・ワイズの訃報に接しました。今回観直してみて気付いたのは、ドラマ部分の重要な場面では大抵、画面が深い闇に包まれているということです。序盤と中盤のマリアと修道院長の会話シーン、トラップ大佐の初登場シーン、東屋でお互いの愛を確認する二組の恋人たち(いずれも夜である)、終盤の脱出劇などはほとんどフィルムノワールと言っても良いくらいです。「私のお気に入り」や「ドレミの歌」や「ひとりぼっちの羊飼い」といった愉しくてインパクトのある楽曲が『サウンド・オブ・ミュージック』を明るいイメージとして記憶させますが、ドラマ部分では終始一貫して濃い陰影が画面を覆っているという事実はなかなか興味深いです。ナチス台頭という暗い時代背景を、黒を強調した映像の表象によって感覚的に捉えさせるこの地味ながらもユニークな意匠は、ホラー作家としてのロバート・ワイズフィルモグラフィーを見ると初期はホラーばかり撮っているし、そもそも本作の前には『たたり』を撮っている^^;)の資質が、ミュージカル映画の画面造形にも無意識的に現われてしまったということなのかもしれません。マリアとトラップ大佐が庭で激しい口論をしていると、ふと子供たちが歌う「サウンド・オブ・ミュージック」が遠くから聴こえてくる。屋敷内の一室で合唱する子供たち、その姿を入口からそっと眺めるクリストファー・プラマーのクローズアップから、父親と子供たちの合唱となり、それを同じように入口からそっと眺めるジュリー・アンドリュースのクローズアップへと繋がって、バラバラの関係だった三者(マリア、トラップ大佐、子供たち)の家族的な絆の成立を確信させるというシークエンス。『サウンド・オブ・ミュージック』のクライマックスと言えば音楽祭での「エーデルワイス」大合唱ですが、そこには『カサブランカ』の「ラ・マルセイエーズ」ほど露骨ではないにせよ、やはりある種の愛国主義的な息苦しさが感じられてしまうのは否めません(と言いながらもしっかり涙腺が緩むのですが^^;)。普遍的な家族愛の姿を簡潔に表現した子供たちによる「サウンド・オブ・ミュージック」の合唱こそ本作の最も美しく感動的なシークエンスだと思います。ここには深い闇など一切存在せず、画面は穏やかな光で満たされているのです。