『アメリカの友人』のコメンタリーを見る。

デニス・ホッパー追悼。ヴェンダースとホッパーによるコメンタリーだったので丁度良かった。いろいろ興味深い内容だったので備忘録として簡単にメモしておく。


・撮影監督のロビー・ミュラーは当時まだ実用化されていなかったキノフロ(映画撮影用の蛍光灯ライト)を使った照明設計を随所で試していた。

エドワード・ホッパーの色彩を映画で再現したかった。

・当初リプリー役はジョン・カサヴェテスを考えていた。

リプリーヨナタンが出会う場面のオークション会場で司会席の一番左に座る初老の人物は、ラングの『M』にも出演しているドイツのベテラン俳優。

・『ハタリ!』に出演していたジェラール・ブランによると、ホークスは毎日のように新しい脚本を用意させ、現場での演出は即興的な自由なものだった。

ブルーノ・ガンツは役作りのため、実際に額縁屋で数週間働いた。

・本作の99%は同時録音で、人物の声はアフレコが当たり前だった当時のヨーロッパではかなり例外的なことだった。

・後半の列車シーンのみスタジオ撮影(ここもロケ映像との組み合わせ)

・随所に見られる印象的な濃いグリーンの照明はネオン光源によるもの。普通はこういう不快な色はラボの現像時に補正されてしまうのだが、ロビー・ミュラーの強い要望であえて残された。

・本作に出演している七人の映画監督*1の話題になると、すかさずヴェンダースが「ぜんぶ悪党だよね、地でいける」と語り、ホッパー大受け。

ハイスミスは試写の時「私のリプリーじゃない」とホッパーを否定したが、後日パリの上映を見て「外見はイメージと違うが、その本質は彼そのもの」と前言を撤回した。

・ホッパーは『地獄の黙示録』の撮影が終わったその足で本作の撮影に臨んだ。ハンブルグの空港に降り立ったときの姿は『地獄の黙示録』出演時の格好そのままだったという。

・『緋文字』は自分の経歴の中でも最低の過ちだった。

ヨナタンが『ラスト・タンゴ・イン・パリ』(ヴェンダース曰く「大好きな映画」)の舞台とったアパートの横を通るシーンがある。

・『ペーパー・ムーン』を見て打ちのめされたヴェンダースが『都会のアリス』の企画中止をサミュエル・フラーに話すと、フラーは即興で脚本をアレンジし映画を撮るようヴェンダースを励ました。「この時のフラーの助言がなかったら自分はその後映画監督になっていなかっただろう」

ヴェンダースの紹介でニコラス・レイサミュエル・フラーが会うことになったが、意外にもこの時が二人の初対面だったという。その様子はヴェンダース自身が写真に収めた。尽きない話で盛り上がる二人を眺めていたというホッパーの言葉「巨匠たちめ!」

ヴェンダース「車の窓のカタチで画面の構図が規定されてくる」

ハンブルグリプリーが住む風変わりなデザイン(外壁の周りが堀のようになっている)の白い家はロシアにある建築様式の複製。

・映画の最後に出てくるベンツ製の救急車をホッパーが気に入り、撮影後に買い取った。10年後にヴェンダースがホッパーの元を訪れた時にもこの車は健在で、ちゃんと走ったのだそうだ。

サミュエル・フラーの階段落ちのシーンで、一瞬だけ映るフラー視点のカットはフラーの提案で彼の腰にキャメラを付けて撮ったもの。自己流ステディカムとはヴェンダースの言。

・フラーの階段落ちはもちろんスタントだが、当時、階段落ちでは最長記録だったらしく、スタントマンの雑誌にも載った。

・ホッパー「『アメリカの友人』は自分のキャリアの中でも最高のものだが、このことも言っておきたい。『ベルリン天使の詩』は映画史上最も偉大な作品の一つだ。

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