『蜂の旅人』

監督:テオ・アンゲロプロス

アンゲロプロスなのに2時間という尺、これ見よがしなエゲツない長廻しも出てきません、基本はシンプルなロードムービーのスタイル。アンゲロプロスらしからぬ小品と言えます。でも、この小品っぷりが実に良いんですよね。つまり作風が巨視的(国家)な視点から微視的(個人)な視点へと移行しているんです。中年男と少女のいささか奇妙な恋物語の背後には、世代間の断絶とか忘れ去られていく内戦の記憶と言ったものが見え隠れするのですが、さりげなくシュールなイメージの連なりによって現実的なテーマが抽象化されているせいか、表面上は幻想的な男女のロマンスと言ったような印象を受けます。しかも、主人公の中年男は恋する少女に娘たちの姿を重ね合わせ、少女は中年男に父親を求めているんですよね。これは冒頭の結婚式や反復される童歌にそれとなく暗示されています。この擬似近親相姦とも言うべき要素には、祖国愛から生まれた政治的分裂というギリシャの歪んだ過去を重ねてみることもできると思います。こうした重層的な構造は如何にもアンゲロプロスらしいのですが、本作が魅力的なのは、何よりも映像の表層に漂う"シンプルさ"が美しいからなんですよね。全裸で海に泳ぎだす老人とか、ガラスを突き破るトラックとか、ふと目に飛び込んでくるバラの赤さとか、中年男の手に噛み付く少女のアップとか、眠るマストロヤンニの足元に少女の全裸の下半身がスッと現われるところとか、そういう唐突さに満ちた細部にワクワクさせられるんですね。主人公の職業が養蜂家というのも面白いです。ミツバチを使って蜜を採取する姿は、まるで支配者であり家父長であり男性的なるものの象徴のようです。だから主人公が蜂によって命を落とすのは、取りも直さずそれら前時代的なものの敗北を意味しているんでしょうね。そういう意味では本作を通してアンゲロプロスなりに時代の総括を行ったのかもしれません。極めて地味なカタチとして、というのが泣けますが・・・。方法論的なアプローチの仕方は、大島渚の『儀式』からの影響が強く感じられました。それと多分アントニオーニの『さすらい』に捧げるオマージュ作品でもあったのではないかと思います。風景の切り取り方がそっくりだし、ガソリン・スタンドがやたら出てくるし(笑)。個人的にはアンゲロプロス作品の中でもベスト5に入るくらい好きですね。

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盤質。シュートや白点ノイズがやや目立つ程度で、解像度は十分に高いです(まあアンゲロプロス作品にしては、というレベルではありますが^^;)。PALマスターですが、音も気になりませんでした。