『軽蔑』 ■■■■

監督:ジャン=リュック・ゴダール

ゴダールのバックステージ物。大きく三つに分かれたシークエンスと舞台。一つ目は巨大で空虚な空間を思わせるチネチッタでメタ映画的な話が展開していきます。米の辣腕プロデューサー演じるジャック・パランスが良いですね。アメリカ映画の父・グリフィスの言葉「映画とは女と銃だ」を体現(皮肉たっぷりに)するかのように、ヌード・ショットではいやらしい笑みを浮かべ、スクリプターのイタリア女の腰を使ってサイン(その体勢はあからさまに後背位を想起させる)し、暴力的な身体アクションを披露します(巨躯と強面の迫力)。そして言うまでもなく彼はハリウッド・タイクーンのパロディ的な存在でもあります。無神論者で皮肉屋の映画監督フリッツ・ラング(なんと本人役!)の存在感も強烈です。発する言葉がいちいち格好良いんですよね。それと唐突に挿入されるフラッシュバックの中にさらにフラッシュフォワードを紛れ込ませる手法は、いわゆるデ・ジャヴのような効果があって物語の悲劇的な結末を予感させる巧みな演出だと思いました。ちなみに撮影所の外壁には『ハタリ!』『静かなる男』『サイコ』などのポスターが貼られています。試写室のスクリーン下に大きく書かれたルイ・リュミエールの「劇映画に未来はない」という有名な言葉(実際は、リュミエール兄弟の父親であるアントワーヌの言葉だそうですが)も印象的。二つ目は一転、室内へと場面が移り、主役である男女二人の取り留めのない会話劇が描かれていきます。ここがまたすこぶる面白い。真っ白の壁、青と赤の物、物、物、このゴダール的としか言いようがないトリコロール(映画の冒頭、ブリジット・バルドーが全裸でベットにうつ伏せになっている場面でも、赤、白、青と切り替わる照明が画面を染めています)の部屋で、男女は歩いたり坐ったりを繰り返しながらひたすら話し合います。ミシェル・ピコリは一体いつ帽子を脱ぐのだろうか?などという馬鹿らしくも気になって仕方ないサスペンスが持続しながら、ブリジット・バルドーは突然黒いショートヘアのカツラを被ったり、セミヌードで部屋を徘徊したり、入浴したり、ベッドに横たわったり、服装を変えたりとサービス旺盛に観る者を刺激し続けます。そして、そろそろ飽きてきたなと思い始めたところで、ふいに二人の間に不穏な緊張が生じ、舞台は三つ目のカプリ島へと移行します。このタイミングが本当に絶妙。愛の不毛が描かれる最後のカプリ島のシークエンスでは何と言っても映像が圧倒的です。海の水平線と平坦でただっ広い屋上がシネマスコープの横長画面に見事に収まって、素晴らしく美しい映画空間を現出させています。巨大な屋上階段や、絵画のように風景を切り取る大きな窓の部屋など舞台装置としても出色の建築物ですね。呆気ない、しかし劇的と言えば劇的なラスト。物語の幕はフリッツ・ラングの「シレンシオ」(静かに)という一声によって閉じられます(リンチがフランス資本で撮ったバックステージ物『マルホランド・ドライブ』のラストも「シレンシオ」によって締めくくられているのは勿論単なる偶然ではないでしょう)。ところで全編にわたって流れるジョルジュ・ドルリューの激しく叙情的な音楽は、アントニオーニ的な主題にメロドラマの衣を被せてしまおうという如何にもゴダールらしい出鱈目さで実に良いなぁと思いました(笑)。やっぱりゴダールは面白いです。

軽蔑《デジタルニューマスター版》 [DVD]

軽蔑《デジタルニューマスター版》 [DVD]