今日は有楽町・朝日ホールで開催されている「ルキノ・ヴィスコンティ映画祭」に行って来ました。観た作品は『疲れ切った魔女』と『異邦人』の2本です。この日は、あいにくの雨模様でしたが会場は大入りで、キャパ750席はほぼ満席の状態でした。さて、まずは『疲れ切った魔女』の感想から。これは良かったですね〜。『華やかな魔女たち』という全5話からなるオムニバス映画の一編で、艶笑喜劇風の毒のあるユーモアが効いた女優讃歌という感じ。全体的に軽やかな演出なんですが、ここぞという場面で残酷な笑いを持ってくるあたりがヴィスコンティの怖さで、気を失ったシルヴァーナ・マンガーノが女性たちに女優の仮面を剥がされていって笑いのタネにされてしまうところや、疲れた素顔を晒した彼女が、一夜明けて、また完璧な女優へと変身していくシーンの鮮やかさとある種のグロテスクな感覚(メイキャップ師に表情まで作らされる様は人形にしか見えません)の対比など、喜劇であると同時に悲劇でもあるんですね。黒い車で登場し、ヘリコプターで去っていく構成の妙も見事でした。ヘルムート・バーガーがボーイ役で少し顔を見せています(デビュー作?)。ブルジョワのオバサンに妖しく迫られていました(笑)。そして本命の『異邦人』。観終わった後の率直な感想は「可もなく不可もなく」と言った感じでしょうか。原作を忠実に再現してはいるのですが、どうも映画としての旨味が薄いと言うか、ヴィスコンティにしては映像や演出が力強さに欠けているような気がしましたね。主人公ムルソーが太陽のせいで殺人を犯すシーンのインパクトが弱いですし、最後でムルソーが自己の実存を獲得するシーンも今ひとつ心に迫ってきません。やはり原作の不条理と実存哲学という思想はあまりにも観念的すぎる主題なので、それを映像で表現するのは無謀な試みだったのかもしれません。でも、感情移入できなかった決定的な要因は、ムルソー役のM・マストロヤンニが原作のイメージに合っていなかったという点です。まず第一に身体が太すぎる!(泣)。海水浴のシーンでは目が点になりました(水着の似合わなさも衝撃的!笑)。青年ムルソーというよりは明らかに中年ムルソーという肥えっぷり、その鈍重さ。表情も少し優しすぎるような気がしました。当時、既に40を越えていたマストロヤンニを起用したのは、原作に対する敬意とカミュの遺族への手前、若手や新人を使うリスクを避けたということなのでしょうか。恋人マリイ役のアンナ・カリーナとの組み合わせもちょっと違和感がありましたねぇ。彼女自体は良かっただけに残念です。不思議な魅力を放つカマトト顔。『白夜』のマリア・シェルには寒気が走りましたが、本作のアンナ・カリーナには萌えました(笑)。裁判シークエンスで信仰賛美の熱弁を振るう判事の尊大さ、神の存在をとうとうと説く司祭の無力さといった描写には、宗教に対する厳しい皮肉が効いています。この辺りは「赤い貴族」と呼ばれたヴィスコンティの面目躍如たる演出でしたね。