『荒野のストレンジャー』

監督:クリント・イーストウッド

主人公がいきなり女を犯してしまうアンチ・ヒーロー像、インディアンや小人の描写に見られる差別の逆転、愚かで偽善的な住人たち。これら反西部劇的とも言える要素と、陰鬱な暴力に満ちた復讐の物語には、西部劇というジャンルを闇に葬り去った(墓碑銘なき墓がそのことを象徴している?)時代そのものに対するイーストウッドの悲痛な怒りと絶望の隠喩が込められているのかもしれない。主人公の此の世の者ではないような、まるで神罰の執行者のような人物造形は、最後の西部劇作家としての皮肉に満ちた諧謔なのだろうか。本作の後に作られた『ペイルライダー』の主人公が牧師であり、敵から既に死んだ筈の人間として扱われていたことを考えると、この両作に見られる皮肉な諧謔性は、死んでしまった西部劇への哀惜の念がいびつな形となって作品に反映されたと言えるし、その一方で西部劇の死を絶対に認めたくないというイーストウッドのあがきのようにも思える。西部劇のヒーローがもはやヒーローとして振舞うことができず、あまつさえ亡霊としてしか存在しえなくなってしまったことの哀しさ・・・。単なる風変わりな西部劇では到底片付けることができない不気味な凄みを両作が持っていることは確かだ。赤く染まった町と町名札に記されたHELLという言葉。クライマックスで突然示される、視覚と文字の暴力性にも慄然とさせられた。まあ一番印象に残ったのは、すだれ頭でやたら臆病な床屋のオヤジだったりするのだけれど(笑)。