「エヴァ復活祭」もいよいよ佳境の第11夜

第弐拾壱話「ネルフ、誕生」(英題:He was aware that he was still a child)

VIDEO 版を視聴。冬月の回想というカタチでネルフ誕生までの経緯が語られると同時に、様々な登場人物の過去も描かれていく。構成が巧みなので、情報量が多いにもかかわらずスッキリまとまった話になっている。ただし背後に隠された設定の膨大さは容易に窺うことができ、この辺りの物語だけで一つの作品が出来てしまいそうなほどの奥深さと魅力を感じさせる。見所は三つ。まずは冬月の碇ユイに対する微妙な感情を示す描写の数々。特に二人が湖畔で語り合うシーンの冬月の目線がイヤらしい。ユイのうなじ、脚、胸元、顔と。。。傍らにいるシンジなど全く眼中にない(笑)。二つ目はゲンドウと赤木親子の複雑な関係。ネルフ幹部たちの愛憎相関図はなかなか壮絶である(笑)。幼児のレイが赤木ナオコに言い放つ「バアさん」がメチャ怖い。最後は「加持の殺害」。一応ゼーレ(またはネルフ)の暗殺者に殺されたというのが定説らしいが、放送当時は死ぬ直前の言葉「よう、遅かったじゃないか」の口調(友人に語りかけるような)と前後のカット(ミサトの拳銃と表札のアップショット)のおかげでかなり悩まされたものだ。個人的には赤木リツコ犯人説も面白いと思う(勿論、指示したのはゲンドウ)。英題は「彼は自分がまだ子供だという事に気が付いた」という意味。最後、号泣するミサトに対し、何もしてあげられないシンジの心情を指しているのだろう。

[我的EVA言行録]

「真実は君と共にある」by加持リョウジ


第弐拾弐話「せめて、人間らしく」(英題:Don't Be)

VIDEO 版を視聴。ほぼ全編にわたって惣流・アスカ・ラングレーの内面を描く非常に重たいエピソード。これまでエヴァの「陽」の部分を担っていた彼女だけに悲惨な過去と自己否定と他者否定が心の中で激しく交錯する様は見ていて辛くなるほど。見所はアスカの代表的なセリフを宮村優子(アスカ役)以外の女性声優陣が次々と演じていくシーンだろう。自己否定の強迫観念を象徴した演出だが、それぞれの声の個性が出ていて面白い。零号機による「ロンギヌスの槍」投擲シーンも迫力がある。英題はずばり「いなくなれ!」。自己と他者を受け入れられないアスカの心情。すなわち彼女の人間性の放棄、精神崩壊を暗示している。メインタイトルのなんと皮肉なことか。

[我的EVA言行録]

「でも、自分が一番イヤッ!!」by惣流・アスカ・ラングレー